走ることは“自分との対話”──僕なりのランニング哲学
こんにちは!ランナーのワタランです。
このブログも気づけば30回目。節目の今回は、僕が走り続けてきた中で少しずつ見えてきた「ランニングに対する考え方=ランニング哲学」についてお話ししたいと思います。
走り始めは「再現性の高いスポーツ」だと思っていた
ランニングを始めた頃、「走るだけなら再現性が高いスポーツだ」と思っていました。野球やサッカーと違って相手もいない。ルールも単純で、ただ決まった距離を走るだけ。
「同じように走れば、同じ結果が出る」と信じていたんです。
でも現実は、毎日が違う
実際に走り続けてみると、その考えはすぐに崩れました。
同じコースを、同じ時間、同じペースで走ろうとしても、結果はバラバラ。体調、気温、湿度、前日の食事や睡眠、精神状態まで、あらゆる要素が影響する。
特にロング走では、最初は順調でも後半に急に脚が重くなったり、呼吸が乱れたり。まるで「今日はどこまで走れるか?」を自分の体と対話しながら確かめている感覚でした。
走る前に「今日は走れるか?」と問いかけるように
今では、ランニングは「自分を観察する時間」だと思っています。走る前から体と対話する。
- ・今日は調子が良さそうか?
- ・脚や膝に違和感はないか?
- ・攻める日か、ペースを抑える日か?
そして、走っている最中もチェックは続きます。
- ・呼吸は乱れていないか?
- ・フォームは崩れていないか?
- ・ペース配分は適切か?
「ただ走る」から、「考えながら走る」ように変化していきました。
見つからない答えを探し続ける、それが僕のランニング
ランニングには、明確な正解はありません。速さを求める人もいれば、健康やリフレッシュのために走る人もいます。
僕にとっての答えは、「今日の自分と向き合いながら走ること」。
もっとラクに走るにはどうしたらいいか。どうすれば脚が攣らないか。どの装備が体に合っているか。どんな食事が翌日の調子に影響するのか──。
まるで「自分専用の取扱説明書」を毎回少しずつアップデートしているような感覚です。
まとめ:走ることで、自分を知っていく
ランニングは、記録を競うスポーツでもありますが、僕にとっては「自分を知るための時間」でもあります。
同じように走っても、同じ結果にならない。だからこそ、面白い。思い通りにいかない日があるからこそ、続けたくなる。
走ることで、自分のことが少しずつわかってくる。ランニングとは、自分と対話する行為そのものなんだと、今は感じています。
これからも「走ること=自分を知ること」として、気張らず、でも真剣にランニングを楽しんでいきたいと思います。
※本記事内の画像には、AI(ChatGPT / DALL·E)および Canva によって作成されたものを含みます。
すべて商用利用・ブログ掲載が可能な範囲で作成・使用しています。
コメント