こんにちは!ワタランです。
今回はランニングの話からちょっと離れて、「2025年7月5日」について、僕なりの考察を書いてみようと思います。
最近ネットやSNSで注目されている「2025年7月5日」の予言や都市伝説。
本当に何かが起きるのか?…その真偽はともかく、少し気になる話題だったので、前向きな視点でまとめてみました。
話題の発端:「私が見た未来」の予言
この日付が注目されるきっかけとなったのが、たつき諒先生の漫画『私が見た未来』です。
作中で「次の大災難は2025年7月5日」と明言されていたことから、様々な考察や憶測が飛び交うようになりました。
以前の「東日本大震災」を“的中させた”とも言われており、その影響力は大きいようです。
他にもある予言:隕石説やホピ族の伝承など
この日を巡っては、他にもいくつかの“予言”が語られています。
- 保江邦夫先生の隕石落下説:地球に天体衝突があるかも、という話。
- ホピ族の伝承:古代の預言者が「日本人の役割」について語っていたとも言われます。
確かに、こうした話を読むとちょっと怖くなったり、不安になったりもします。
ちなみに、1999年はノストラダムスの大予言が話題になり、その13年後の2012年にはマヤ暦の終末説が流行。
そしてまた13年後の2025年、今回もまた“予言”がにぎやかに騒がれています。
この「13年周期説」、偶然の一致なのか、それとも何か意味があるのか…。考えてみると、ちょっと不思議ですね。
でも僕は「ポジティブな転換点」だと信じたい
そんな中で、ペンキ画家ショーゲンさんがアフリカ・ブンジュ村のシャーマンから聞いたという言葉に、僕は心を惹かれました。
そのメッセージは、「2025年7月5日は、日本人が目覚める日」「日本人の血の記憶が蘇る」という、希望を感じるものです。
信じる・信じないは人それぞれ。でも僕は、日本にとってポジティブな転換点になると信じたいし、信じようと思っています。
あと1か月、何が起きても──それでも僕は走る
この記事を書いている時点で、7月5日まではあとちょうど1か月。
実際に何かが起きるのか、まったく何もないのか、それはわかりません。
でも、どちらにせよ、その日も僕は走っていると思います。
走ることで心が整うし、自分の足で立ち、自分のペースで前に進むという感覚を大事にしていたい。
予言よりも、自分の“今”を丁寧に生きたいですね。
まとめ:不安よりも、希望と行動を大切に
2025年7月5日という日付に、さまざまな意味が込められて語られています。
でも、未来は決まっていないし、自分がどう生きるかが一番大切。
予言や噂があふれるときこそ、落ち着いて、自分にできることを淡々と続けていくことが大切なのかもしれません。
僕は走ります。きっとあなたも、あなたのペースで歩いていけば大丈夫。
不安に飲み込まれるより、前向きに、走りながら考える。そんな日々を重ねていきたいと思います。
▼ランニング中心の記事はこちら
【第24回】走る理由、改めて考えてみた。なぜ今も走ってるのか?



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